卒部しました(上)

 

「…これで2020年度最後の稽古を終わります。…」

 

同期の声が聞こえた。終わってしまうらしい。ここに来てようやく実感が湧いた。

 

「…正面に対し、礼」

 

休憩時間に後輩から卒部の感想は?と聞かれた。何も思いつかなかったから笑ってごまかした。

 

「…お互いに、礼」

 

今だったらもう少し気の利いたことが言えたかもしれない。

 

「「ありがとうございました!!」」

 

一瞬だけ、ほんの少しだけ、目頭が熱を帯びたように感じた。

 

 

こんにちは、またある時はこんばんは。そしてお久しぶりです。

 大学4年間続けてきた躰道部をこの前卒部しました。4年間もやっているとまあいろいろ思うこともあるので、ここで書き散らかしていこうと思います。誰かに届けようとかそういうつもりは特になく、ただひたすらに自分語りです。けれど、どこかで誰かの心に残ってくれるとこの文章も少しは浮かばれるなあと思ったりもします。

 

では、宣言通り書き散らします。

 

 後付けの語り部

身体を動かすのが好きだった。躰道である必要はなかったし、今思い返しても躰道でなくても4年間楽しめていた自信はある。じゃあなぜ躰道だったかと問われると、正直なところあまり覚えていない。かっこよかったから、雰囲気がよかったから、は確かに事実だけど、後付けな理由な気がしてならない。最も正解に近いのは、なんか自分に合ってそうっていう直感だったと思う。実際これほど激しく全身を使ったスポーツは初めてでそれがめちゃくちゃ楽しかったし、自分の身体を操る能力が拡張していくのがたまらなく心地よかった。

 

チームプレイが嫌いだった。負けた理由を他に求めようとしてしまう自分が嫌いだったのと、自分のミスで仲間に迷惑をかけるのが嫌いだったのと、何よりそれで周りから気を遣われるのが嫌いだった。やるなら絶対に個人競技と決めていた。勝ちも負けの全部自分の責任で済むから。負けたのは自分が弱かっただけ。それ以外の理由を完全に排除できるし、競技スポーツはそうあるべきだと思っている。集団の中でミスに怯えながらプレーするより精神的にかなりラクだったし、楽しかった。この先何かスポーツをするとしても、チームスポーツは絶対やらないんだろうな、と予感している自分もいる。

 

この好きと嫌いは躰道と向き合う上での根底というか、信念に近いような存在として自分の中にあったように思う。

 

 

はみ出し者

個人競技が決め手の一つになった躰道部で、入部早々団体競技に囚われてしまった。新人団体法形。たぶん肌に合わないだろうと思っていたし、実際うまくいかなかった。それ以前に同期のレベルが高すぎてメンバーにすら選ばれなかった。これに関しては好き嫌いとか関係なく悔しいと感じた記憶がある。でも同期たちがワンツーフィニッシュで注目を掻っ攫ったのは素直に嬉しかったし、それは「チーム」も悪くないと感じた瞬間でもあった。

 

そうは言っても競技としてのチームはやはり苦手だった。方々からの批判覚悟で言わせてもらうが、展開は好きになれなかった。競技そのものは好きだしかっこいいし、やってみたいとも思っていたが、採点方式ってのがダメだった。一人ひとりにその場で点数がつけられて公表されるとか、戦犯はお前だって指差してるようなもんじゃん。自分が畳に立とうとすると一番に心がやられるという確信があった。うまくなればいいと言われればその通りだが、その過程で苦しみ続けるのは自分が持つ躰道との向き合い方とかけ離れていた。

今思い返すと展開チックなものを作ったのは学壱の駒祭展開が最初で最後だった気がする。

 

 

学惨

躰道人生で印象深かった時期はやはり学参だろうか。学肆時代もなかなかだったけどまぁそれは後で書く。正直当時の自分もこれは一生心に残る時期だろうと感じていた。黒帯になり、フィンランドに行き、バク宙を跳べるようになり、そして骨折した。骨折した話はこちらで書いたが、まぁ簡単に言うとバク宙で墜落した。指じゃなくて掌の骨ってところもなかなか意味が分からない、どういう落ち方してんねん。

尽く高等運身に嫌われていた。朝練で練習してる割にまともに跳べるようになったのは学肆になってからだった。黒帯審査ではやるなと言われたバク転を無理やりやったら鼻をぶつけて鼻血を撒き散らした。この件は先生や先輩にはご迷惑をおかけしました、はい。大事に至らなかった故の結果論だけど、それでもあれは正解だったと思う。『図書館戦争』シリーズの堂上教官の言葉を借りるとすれば、「反省はしている。だが後悔はしていない。」ってところか。細かい台詞は違ったかもしれない。あそこで自分が折れればいつか何かのきっかけで退部することになるっていう予感があったし、無茶をしたおかげでいろいろと吹っ切れることもできた気がする。うん、あそこで跳んだ俺はえらい。あと一級審査くらいから、法形が好きになってきた。今まで法形が下手くそだった分成長率が高かっただけなんだろうけど、やった分だけ成長するのが実感できて楽しかった。

 

 

楽参

黒帯とったらもう自由。というのは極端だが、まぁ学参時代はやりたいことをやっていった。大会に出たい&海外に行きたいという理由でフィンランドの国際親善大会に出場した。しかも一緒に変陰団法を組ませてもらい、なんと優勝してしまった。団法経験皆無で、しかも他4人が全員後輩という状態でまぁよくやってのけたわって思ってしまう。めちゃめちゃいい経験をさせてもらった。あと変陰ってかっこいいよな。見るのも楽しいしやるのも楽しい。数ヶ月しか練習できなかったけど一番好きな法形かもしれない。

実戦? まぁほどほどに本気でやってたかな。できることもやりたいことも増えてきて結局うまくいかないっていうのが多かった。キツイかキツくないかといえば当然キツイが、部活ってそんなもんだし、練習しないとうまくなれないんだから仕方ないよね。でもやっぱりキツイよりも楽しいの方が上だったと思う。勝ちに拘らずにやりたいことをやろうって気持ちでやってたのが大きい。実際負けた試合でもここは我ながらいい動きしてたって思うこともあるし、技もらっても「うわーめっちゃ綺麗に食らったわ、俺もこれやりてー」ってニヤニヤしながら中央に戻ってたことなんかザラだし。まぁ何が言いたいかというと躰道楽しいぞってこと。まとめ方雑だしペラッペラだな。

 

 

天才たちへの憧憬

躰道人生を語るにはやっぱり学生大会は不可欠ですかね。結局一度も出場することなく卒部したんだけど。学参のときはあわよくば団実に、とは思っていたけど骨折してて動けなかった。怪我がなかったら出られる実力だったかというと決してそうではなかったから、ある意味都合のいい言い訳になってしまった(「い」が4連発してタイピングの違和感が凄かった)。気に食わない。どうせ出られないなら「お前は弱いから」の一言が良かった。メンバー発表の時のことは今でもよく覚えている。当時自分を含めて同期が3人怪我していて、うち1人だけがメンバーに選ばれた。一番軽い怪我だったし実力的な面でも何の文句もなかった。ただ、自分が選ばれなかった理由が「怪我」っていうのが不快だった。発表してる時の先輩も珍しく歯切れが悪かったし、それは先輩の優しさゆえであって先輩は何も悪くないんだけど、でもやっぱりモヤモヤしてしまった。来年はちゃんと実力で評価され、その上でばっさり切り捨てられよう、改めてそう決心した。

学大当日のことは正直あんまり覚えてなくて、ただただ「感動した」という感情の記憶だけが妙に鮮明に残っている。何にどう感動したかははっきりしない。まぁ同期たちが主力としてバカみたいに活躍してたのと、団実がアツかったってところだろう。間違いないのは「来年は自分があの舞台に立ちたい」という気持ちだった。大会にあまり興味がなかったはずなのにそういう思いが生まれたのは、やはり選手たちの活躍に感銘を受けたからなんだと思う。

 

骨折も無事に完治し、いよいよ学肆時代。目標は割とはっきりしていて、転体に向き合う(実力が伴えば二段審査)と、学大団実に出場するの2点だった。と気持ちを新たにしたのも束の間、2020年という、先の見えない最悪の1年の幕が開ける。