卒部しました(下)

平成31年5月1日。

令和という元号が誕生したため「存在しない時間軸」としてこう表現されるのを何度が見たことがある。平行世界なるものが存在するのならば、向こうの世界の2020年、平成32年はどんなものだったのか。ひとつまみほどの妬ましさをまぶしながら空想する。

 

さて後編です(前編はこちら)。こっちは2020年、躰道人生最後の1年間の話を少々。

 

 

存在しなかった一年

コロナで2020年の全ての大会が中止になった。2月くらいに春合宿の中止が決まり、あれよあれよという間に練習が中止され、緊急事態宣言も発令され、そして大会が全滅した。

何なんだこれは。家に引きこもりながらただ日々が過ぎていた。何をしていたかを思い出してみたが、アニメを見たり本を読んだり、少し筋トレをしていたくらいだった。いつの間にかオンラインでの稽古が始まり、夏の終わりくらいからは少しずつ対面での練習が再開した。それでも「いつの通り」からは程遠いものだったし、情勢を鑑みてもこれが「新しい平常」として受け入れなければならないと感じていた。

体感的には最も短い一年であったのは否めない。実際今までできていたことが全く通用しなくなり、密度も低くなったのだから。しかしそれゆえにか、今までで一番「何かをやろうとした一年」だったように思う。

 

妥協ではなく、すり合わせ

前編でも書いたが、学肆時代の目標は団実と転体の二つだった。そして早速前者が潰えた。つまんないな。大会がなくなったことよりも団実の選考がなくなったというところにやるせなさを感じた記憶がある。そもそも大会に出ることそのものには関心はなかった。ただ客観的に実力を評価してもらう場が欲しかっただけだった。その手っ取り早い「場」が学大団実だったのだろう。この一年全力で練習し、その上で戦力外通告を突きつけれらるのなら文句はないし、むしろ清々しいとまで思っていた。が、その機会すら奪われてしまったのだ。こればっかりはどうしようもないことではあるが、正直実戦へのやる気は完全になくなった。そもそも接触を伴う実戦ができるようになるとは思えなかったというのもあり、早々に転体に絞ることにした。

そうすると目標は非常に明快で、二段審査の受審の一点張りだった。二段審査すらできない、というのは考えたところで仕方ないので考えないことにした。別に退部っていう選択肢は初めから持ってなかったので、躰道や部への向き合い方に悩むことは全くなかった。我ながら珍しいことだったと思う。

 

呪い

ハイキュー!!』という漫画をご存知だろうか。とか言いながら俺はアニメしか見ていないんだが、高校バレーの漫画だ。その初期の頃、主人公が中学時代最後の試合でこういうセリフをぶつけられていた。

 

「お前は3年間、何やってたんだ」

 

なかなかにぶっ刺さった。スポーツやってる人間がスポ根系の漫画とかに触れると絶対どこかで心に刺さるシーンに出会うと思っているんだけど、これは今までで一番のそれだった。

躰道4年目、何もできないことがほぼ確定してしまったこの状況で、これまでの3年間を全否定されそうになった。確かにこの3年間何やってたかというとぼんやり躰道やってただけだった気がするし、何ならコロナがなければこの1年も同じように過ぎていたかもしれない。

できることが少なかった分考える時間が増えた結果、この言葉がずっと頭から離れなかった。俺は3年間何をやってきたのか、この1年、何をするべきなのか。座右の銘と言えば聞こえはいいが、今思い返すとある種の呪いだったのかもしれない。

普段の自分ならメンタル弱々モードになるんだが、不思議なことにそうはならなかった。二段審査という明確かつ至上の目標を掲げていたからだろう。3年、いや4年間やってきた躰道をここで表現する。そのためだけの1年間だった。

 

本気になれない

さっきから同じような話になってる気がしたから、少し違う話題を。卒部の言葉で同期が言ってたことだが、何かに本気になることができないらしい。全力を出したが届かないという結果を突きつけられることを恐れているからだそうだ。

その気持ちはすごく分かるし、誰しもがそうだと思う。でもさ、後から振り返ってみて「これは全力でやった」って断言できることはほとんどなくて、ほとんどの場合は「もうちょっと頑張れた」ってコメントが出てくると思う。じゃあ実際当時の自分は本当にもっと頑張れたのか、というと必ずしもそうではないだろう。もちろん本人が手を抜いたという自覚があるなら話は別だが、その場合は「もうちょっと頑張れた」ではなく「あの時はテキトーだった」ってちゃんと評価するはずだ(プライドが高い人は知らん)。つまり「もうちょっと頑張れた」という評価は当時は全力だったと考えて良い。じゃあなぜ素直に「全力だった」と言えないのか、それはその結果に満足していないからだ。

全力を出した→結果は奮わなかった→自分へのダメージを抑えるため、「あの時はそこまで本気じゃなかった」と(無意識に?)言い訳する→実際に本気ではなかったと思い込んでしまう。

というのが俺の見解だ。異論は認めるが持論を引き下げる気はない。

何が問題かって現在の自分と当時の自分との間に明確な「結果」が必ず存在し、その結果への評価に惑わされてしまうってことなんだよな。結果の存在は避けようのないことなんだから、結果と過程を切り離して考える他ない。それもまた難しいことなんだが。

だから「もうちょっと頑張れた」という評価をした物事は、当時は全力だったのだと認めてあげるのが手っ取り早い。本気で何かをやってる時って自分が本気であることを自覚する余裕すらないだろうし。これは完全に俺の思想に関わることだが、みんなもうちょっと自分に甘くてもいいと思うよ。

まじで部活に関係ない話だったわ、なんだこれ。

 

二段審査と部内大会

本題に戻ろう。とはいえそこまでそこまで語ることはない。時間がないながらも転体の練習をし、バク宙もなんとか復活し、無事二段に昇段した。自分で言うのもなんだが、会心の出来だった。今までで一番うまく通せた自信があったし、今後何かの間違いで法形をやることがあったとしてもあれ以上のものにできる気がしない。部内大会の転体はボロカスだったからもし見るのなら審査の方を見てください、はい。

相対技法は知らん。ほとんど練習しなかったというのは言い訳以外の何物でもないのだが、そもそも二段審査という目標の大本は「転体に向き合う」だったので、そこは割り切っていた。その選択に関しては全く後悔していない。

そして部内大会。部内大会をモチベにやってきた人もいることは認めるけど、自分にとってこれはおまけみたいなものだった。捻体団法できたのはよかったかな。足絡み揃うとめちゃめちゃ綺麗だなって改めて思った。書くの疲れてきてすごい適当な文章になってる気がする。

 

確かに存在した一年

コロナで2020年の全ての大会が中止になった。何もできなかったのは事実だし、密度も圧倒的に低い一年だったのは言うまでもない。それでもできること、やりたいことを全力でやれたし、後悔はない。むしろやることをかなり絞ったおかげでうまくいったのかもしれない。

お前は2020年、何をやってたんだ。そう問われたとしたら自信を持って答える。

 

俺は躰道をやってきた。