用意された悲劇

最近、漫画を読む機会が多い。知り合いにジャンプ大好き人間がいるのだが、彼のおかげでそれはそれは大量の漫画を読ませていただいている。とりあえず鬼滅の刃は読むべき。

 

つかみはこの辺にしておいて、漫画というか、フィクションのお話。標準を知らないのでなんとも言えないが、僕はかなり物語の中に潜り込む気質がある。感情移入というと主人公に自分を重ね合わせて共に嘆いたり憤ったり、という感じだと思うが、僕はあまりそうはならない。自分を重ねることはほとんどなく、あくまで登場人物を「他者」として捉えてる。じゃあどう没入しているかというと、僕という人間そのものが物語の中に、全く異なる一人の登場人物として紛れ込んでいる。自分が主人公だったらどうしていたかではなく、自分がその場面に立ち会っていたら僕は主人公になんて声をかけるのか、何を思いどう行動するのか、そういうことばかりを想像する。

想像というか、もはや妄想に近い。

自分の脳内で物語を作り変えてしまうことさえある。「その世界に自分がいたとしたら」という並行世界を自分で作り上げてしまう。

 

パラレルワールドっていいよな。If の世界を自由に組み立てられて、何度でもリロードできて。自分の人生もセーブデータが複数あっていろんな分岐を試せたら「失敗」なんて無縁なのに。「失敗しないこと」が善であるとは言えないけど、やっぱり自分は常に正しくありたいと思ってる。それが結果として「正しい」かどうかなんて分からないけど。

 

話がそれた。起承転結にしては転ぶのが早すぎる。

 

そんなこんなで重度の妄想癖を抱える僕は架空の登場人物として物語に潜り込む…はずなのだが、いつも悩まされることがある。

 

自分、平凡すぎでは?

 

バトル漫画に出てくるような特殊能力とか、スポーツ漫画のズバ抜けた身体能力とか才能とかじゃなくて。

 

抱えている「過去」が

 

例えば両親を亡くしたとか、例えば幼少期のトラウマとか、例えば特殊な血統とか。

 

物語というか、フィクションというものの性質上、登場人物にはやはり本編とは少し外れた、それでもきちんと回収されるような「過去」が必ずある。しかも決まって重い。まぁ平凡な過去なんて語られる必要もないし、そこそこインパクトがないと登場人物に厚みを持たせられないのだから必然ではあるけど。

 

そういった特殊性があって初めて物語は動きだす。自分のような平凡で、ある意味順風満帆な人生ほど面白みのないものなんてなければ、物語の脇役にすらなれない。もはやモブキャラ以下。

 

全く皮肉な話だ。現実に嫌気がさして空想に浸ろうとしているのに、そこでもなお現実を突きつけられるだなんて。

 

だからといって自分が悲劇の主人公になりたいか、と問われれても答えはノーだ。だってしんどいじゃん。僕たちが生きているのはやっぱり現実で、フィクションの世界みたいに作者の思い通りじゃないのだから。生まれた時から腹に狐の化け物抱えて、街でみんなから疎まれなんかしたら、とうの昔に身投げしている。

 

そしてそれゆえに、だろうか。彼らの「作られた悲劇」にある種の羨ましさを覚える。その圧倒的で絶望的な悲劇を抱えてもなお生きようとするその強さに、憧れる。

 

現実に悲劇がないと言えば嘘になる。それでも現に自分はまだ生きているので相応の悲劇に耐えうる強さはあるのかもしれない。いや、弱いからこそ、生き残ることだけは上手いのかもしれない。

 

そうやって日々をしのぎながら醜く生きていくんだろうな、僕という人間は。