モノローグ
「自分を自分たらしめるものは、何だ」
それは自意識だ。理性的な僕が答えた。
そんなこと当たり前じゃないか、何を今更、そう問いたげだった。
彼は続けた。
自分自身がこうありたい、こうあるべきだと考え、それを体現した結果が今の自分だ。だったら己の存在そのものは自意識の産物である。しかし、自意識が思い描く理想通りの自分が存在できているか、というのはまた別問題だ。多くの人はそうだろう。自分らしさの追求は、えてして困難を伴い、そして迷走する。
お前だってそうだろ?今の自分が、自分の理想通りの姿だなんて思っていないだろ?
それでも自分は自分なんだ。自意識が今の自分を作っているのであれば、今の「不満な自分」そのものが、深層心理が「望んだ」自分ってことだよ。
「理想通りの自分」なんて存在しえない。変化を求め続けなければ、人は歩みを止め、ともすれば後退するから。自意識が生み出す「不完全な自分」こそが自意識が形成しうる自己なんだ。
それとも何だ?自己を自己たらしめるものが他にあるとでも?
僕は何も答えられなかった。その通りだ、少なくとも僕はそう思っている。だってこれは僕自身の言葉でもあるのだから。
『自分を自分たらしめるもの、それは他者だ。』
どこからか知らない声が聞こえた。
他者?
僕は戸惑いを覚えつつ、知らない声に耳を傾けた。
自分自身がこうありたい、こうあるべきだと考えているのは、誰のためだ?もちろん自分のためだ。己の自由意志に基づいて行動しているはずだ。そこにあるのは「自分のため」という利己的な意志だけだ。
本当にそうか?
「自分のため」だというその意思は、たった一人の自分だけで形成されたのか?
人間は社会的な生き物だ。良くも悪くも常にそばには他者がいて、良くも悪くも彼らの影響が自己に反映される。自分だけの、自分固有だと思い込んでいるその自意識も、他者との関わりの中で作られる。それがたとえ反面教師によるものだとしても、己の存在そのものは常に身近な他者の一部を包含している。そこには常に「他者の影」が付きまとっている。
僕は何も答えられなかった。この知らない声は、僕に新たな見地を与えてくれた気がした。そして同時にその声は耳慣れたものになってしまったような気がした。
一方で僕は答えた。
たとえ自意識の根底に他者の存在があったとして、それを噛み砕いて自分のものにしているのだから、それはやはり「自分」ではないのか?
声は返した。
君の趣味はなんだ?
いやいや質問に答えろや
半ば呆れ気味な僕をよそに声は続けた。
「趣味のための趣味」を持つ人は少なくない。特段人に語れるものがない人はなんとか「趣味」を見つけようと好きなものを探し回る。「趣味」とはその人個人を特徴づける力がある。趣味のない人はすなわち個性のないつまらない人とみなされる。
つまり「自分」の構成要素のしての趣味は他人にポーズをとるためのものでしかない。他の誰でもない、自分固有な存在としてありたいという願い自体が他者との関係性の中でのみ生まれるものだ。もしも世界に人間がたった一人しかいないとしたら、彼はその存在そのものがユニークであり、それ以上の個性を作り出す必要などないのだから。
そうかもしれない
思慮深い僕は返した。でもそれは趣味においての話だ。自己の形成全般において他者の存在を認めてしまえば、それは自己ではなく「他者」になってしまうのではないのか?
声は堂々と答えた。
複数の他者の集合体としての「自己」だ。
さっきも言ったが、自分を自分たらしめるものは他者だ。ただしそれは特定の他者ではなく、自分の周りにいる複数の他者の集合だ。もっと言うと、他者の一部を多方面から集めて組み合わせたもの、それが自己だ。つまり自己の形成要素として他者は存在すれども、それが一個人の他者とはなり得ない。複数の他者があってこその自己であり、他者ではない。
もうわけ分かんねぇな
投げやりな僕が隣でため息をこぼす。
屁理屈ばっか並べやがって
感情的な僕まで口を挟む。
いつの間にか野次馬が増えていた。いろいろな僕がいろいろな僕を捕まえては持論を披露し好き放題喋ってはお祭り騒ぎ。何がなんだがわからなくなってしまった。
こうなってしまえばもう手に負えない。今回の議論も結論が出ないまま崩壊してしまいそうだ。
君にとっての「自己」とは、この場にいる一人一人なのか?
声の質問に僕はゆっくりと答えた。
いや、「僕」という存在はこいつら全体のことだろう。君の言葉を借りるとすれば、集合体としての僕、ということかな
つまりここにいる君達もまた、他者ということか?
そうかもしれない。いつからか分からないが、確かに僕の周りには複数の僕がいたし、だんだんと増えている気もする。新しい経験や見地を得るたびに新しい僕が現れては一緒に議論する。ある意味彼らは、いや僕らは、外部からやってきた他者とも言える。
そういうことか
わかった気がした。確かに僕らは他者だった。そしてきっとこの声も。
僕は声のする方へ目を向けた。
暗がりから姿を見せたその声の主はやはり、僕だった。