バケツのおじさん

 

家から駅までの道中に、広場というか、ちょっとした公園がある。

朝、ときどきその公園で散歩をするおじさんを見かける。

 

なぜだか知らないが、彼はいつも後ろ歩きをしている。

 

初めて見たときは少なく見積もって三度見くらいはしたと思う。

普段の僕ならば「あぁ変な人おるなぁ」って思いながらスルーしているはずなのに、なぜかそのおじさんに惹かれてしまった。

 

外見に特徴的なものは特にない。夏場はTシャツ一枚、最近は黒のジャケットを羽織っている。

背が高いわけでもないしむしろ猫背で小柄な方。

そこまでしっかりした足取りでもない。少し足を引きずって、それでも後ろ歩きをやめない。

 

「後ろ歩きおじさん」

 

毎日見かけるわけではない。僕が家を出る時間が不定なのもあるかもしれないが、週に一回見るか見ないか、そんな程度。

 

なぜだかわからないけど、彼を見るとちょっと元気が出る。そのとぼとぼした歩みを見て、今日も頑張ろうか、そんな気分になる。

危なげな歩き方を見て元気が湧いてくるの、自分でもマジで意味がわからない。

 

そしてこの「後ろ歩きおじさん」を目撃するごとに、僕はもう一人のおじさんを想起する。

 

 

そう、「バケツのおじさん」

 

 

これは僕が小学生だった頃の話。学校のすぐ近所に、その「バケツのおじさん」が住んでいた。

うちの小学校は山の上でさらに坂を登った先にある。バケツのおじさんの家はその坂を降りたすぐのところで、つまり僕たちは校庭からバケツのおじさんを見下ろす形になっていた。

 

大事なことを忘れていた。彼が「バケツのおじさん」と呼ばれる所以。

 

それはもちろん、彼がバケツを被っていたからだ。

それも青色の、ザ・バケツを。

 

 

 

いや念のため言っとくけど彼はバケツなんか被っていない。

青色のニット帽をいつも被っていた。ただそのニット帽の形が、妙だった。頭頂の部分が潰れて平らになっていた。

 

まるで青いバケツをかぶってるかのような、そんなニット帽だった。

 

バケツのおじさんはよく犬の散歩をしていた。業間休みくらいに校庭へ出ると、バケツのおじさんを観測できた。

あ、バケツのおじさんが散歩してる。友達とそんな話をしながら外で遊んでいた、そんな記憶がある。

 

バケツのおじさんの顔をちゃんと見たことは一度もない。いつも遠巻きから眺めていただけで、当然会話もしたことがない。

 

だってバケツ被ってるんだよ、怖いじゃん。

 

いや、被っていないけど。

 

記憶というものは曖昧なもので、「バケツみたいなニット帽をかぶったおじさんがいた」ということだけを覚えていて、それ以外は何も記憶にない。犬なんて散歩してなかったかもしれない。

それでも「バケツのおじさん」はいた、そう信じている。

 

 

もう10年近く経っている。小学校は何年か前に廃校になった。バケツのおじさんは今もあそこに住んでいるのだろうか。元気にしているだろうか。

 

 

 

先日友達の家で徹夜でボドゲをし、朝7時くらいに帰宅した。その帰り道、僕はまた「後ろ歩きおじさん」に遭遇した。

 

僕は目を疑った。

 

なんと彼は、後ろ歩きをしていなかった。

 

正確には、2,3歩進んではくるっと180度回転、後ろ向きに2,3歩進んではまた前向きに、回転しながら歩いていたのだ。

 

 

3秒くらい凝視していた気がする。驚きだなんて、そんな言葉では言い表すことができない。

 

 

 

僕が「後ろ歩きおじさん」だと思っていたその人は、「回転歩きおじさん」だったんだ。